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劇的ビフォーアフター①(リトリーブサイコセラピー前)

心理セラピストの日常

リトリーブサイコセラピー前/後でみる自己紹介

見に来ていただきありがとうございます。
東京板橋区の心理セラピスト、瀬川あいこです。

もろパクリタイトルから始めてしまいましたが、こちらはリトリーブサイコセラピーに出会う前/出会った後の、自己紹介を兼ねたビフォアフ記事です。

リトリーブサイコセラピーとの出会いの前後で人生区切ってみるくらいには、圧倒的に変化を感じた、かつ自分に合っているセラピーだと思っており、本当に感謝しています。

でも世の中、心理療法は星の数ほどありますし、皆さんにごり押しする意図があるものではありません。

個人的には、そもそも個人のスペック(体質、性質、嗜好、何がピンと来るか等)は千人千色なのだから、自分に合っているもの・健やかになれるものと出会えればそれが一番良い、と思っています。

…とはいえ心理療法もお医者さんも、主に自分が症状でしんどくなってから、実際に合うものかどうか、あちこち体当たりで飛び込んで体験してみないことにはわからんのが、つらいところです(小声)。

前書き長くなりましたが本日はビフォーが中心です。
気楽に読んでくださいませ。

ビフォー:スペック

リトリーブサイコセラピーに出会う前の私のスペックはこんな感じです。

生育環境
  • 父:会社員、母:自営業の下に生まれたひとりっこ
  • 父母の仕事を邪魔しないよう、自立的な子どもを目指す
  • むしろ一刻も早く大人になりたかった
  • 小さい頃の記憶はほとんどない

(幼少期から家庭内で安心できず、恐怖でカチカチにフリーズしてた人が、
幼少の思い出がほとんどないのはあるあるだと思います)

持病や症状
  1. 自家中毒(幼少期のみ)(※注)
  2. うつ病(社会人5年目~9年目)
  3. 適応障害(社会人10年目)
  4. パニック障害
  5. 過食癖
  6. 自傷癖
  7. 虚言癖

(※注 10歳未満の子供がなる、突然とにかく嘔吐しまくる病気。
1週間くらいで嘔吐は収まるが、繰り返しかかる。
ストレスが原因と言われていて、個人的には幼少期から既に自律神経がおかしくなってたんだと思っています。)

精神的な傾向
  1. 自己否定が強く、自分を追い込んで生きるのがデフォルト
  2. 自分の本音は殺す、あるだけ邪魔・無駄
  3. 合理的で強い自分をつくり、演出しなければならない
  4. 渇望感やばい
    (愛されたい、みとめられたい、ほめられたい)
  5. 愛着障害(恐れ回避型)
  6. パーソナリティ障害(境界性、演技性、自己愛性)
言動の傾向
  1. 八方美人
  2. 思ってないお世辞や嘘をいくらでも使う
  3. 外ヅラが良く内弁慶
  4. 恋人には過剰な試し行動、我慢した末の爆発を
    エンドレスリピート
  5. プライベートの予定はドタキャンばかり
    (休日に体調を崩す)

生きづらさがずっとある

幼少期は自家中毒、思春期は過食と自傷、社会に出てからはうつ・パニックと、健やかとは決して言えないかもですが、本人としては虐待やネグレクトもない「普通の家庭」で育ってきたと自負していて、衣食住はもちろん教育も十分に与えてもらっている立場で、まさか自分が幼少期に精神的な傷を負っているとは全く思っていませんでした。

うそです、なんか変だ生きづらいな、と、ほんとはずっと気づいていました。

しかし違和感を殺すのも大得意だったので、まさかこんなに丈夫で鈍感な自分が、社会人5年目にしてうつ病なんてメンタルダウンを経験するとは思ってもいなかったのでした。

うつ発症がとどめに

社会人5年目の転勤をきっかけに、うつになったことは凄くショックで大きな転機になりました。

「合理的で、前向きで、強くて丈夫な自分」を必死で作ってきたつもりが、実は全く真逆の「感情的で、後ろ向きで、弱くてもろい自分」なのだと突き付けられ、自分が崩壊しそうな気分でした。

持ち前の自己否定に拍車がかかり、当時、自分のことを「産廃(産業廃棄物)」と呼んでました。
うつを契機に、機を逃さずたたみかけるようなセルフ追い打ち、セルフ虐待が輪をかけて得意になりました…。

身体が一貫して訴えてきたこと

うつ発症の直接的なきっかけは転勤だったのですが、今思うとただの「きっかけ」に過ぎないように思います。

本質的には、生きてきた年数分の生きづらさやつらさ、しんどさを丁寧に余すところなく腹の底に隠したコップに溜めてきて、それがついに溢れたことで、身体がついに強制的にシャットダウンして、病気として「この生き方の変え時です」と表現した瞬間だったのだと、個人的には捉えています。

思えば幼少期~思春期の症状についても、身体からのサインとしては同じメッセージだったのでした。

当時の私は全力で黙殺してしまいましたが、私たちの身体は正直に、ちゃんとサインを出してくれているのです。
こうした身体からのサインや訴えを、これからは全力でキャッチする自分であり続けたいです。

明日はこの続き、リトリーブサイコセラピーとの出会い(アフター)を書きますね。
ここまで読んでいただきありがとうございました。

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