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「恐怖や不安を感じない、怯えない私になりたい!」人へ

こころの癖

恐怖と不安をなくしたい人、既に努力している人へ

「恐怖や不安を感じない、怯えない私になりたい!」

これをよく願ってしまう人、手を挙げてくださいませ。
私もめちゃくちゃ覚えがあります。

あなたが取りたい、なくしたい恐怖や不安はどんな場面でしょうか?

・人に注目されたとき
・人と親しく話をするとき
・人混みに出かけたとき
・人と食事をするとき
・夜、寝る時ふいに

もしかしたら
日常生活のそんな怖がらなくてもいい場面でいちいち恐怖していることに疲れて、
こうした問題を抱えていないように見える他人と比べて、
どうにか無くしたい!と思ってるかもしれませんね。

もしかしたら
自分の感情が思った通りすぐ消えるように、
なにも感じなかった風が即、装えるように、
既に努力しているかもしれません。

しかし今日はその努力の方向性に「ちょっと待った!」という内容です。

結論から言えば、
あなたが進む「恐怖などという感情は無くなれ!」の行き先はかなり危ないので、
真逆に舵を切ろうね、という話です。

もし恐怖を感じなくなったら、結論 → 共感力ゼロ、すぐ死ぬ

あなたが「要らない」と感じている恐怖は、
結局のところ、
あなたが生き延びるのに欠かせない「自己防衛」感情としての恐怖の一種であり
これらは全く同質のものです。

したがって、「恐怖よ無くなれ」方面にひた進む限り、
現在困っている場面とはまったく別の場面で、生命の危機に瀕しかねません。

分かりやすいのはたとえば以下のようなことです。

私、怖くないので!
  • 明らかに良くない匂いのする食べ物を前に
    → 普通に食べて食当たる
  • 海外で野生の犬に囲まれた!
    → 気にしない
  • 目の前で見知らぬ人が怒鳴りつけてきた!
    → 気にしない

いかがでしょうか、恐怖や不安を感じないので、
明らかに自分にとって害のある何か/誰かに遭遇した際、
自分の身を当然守るべき場面においても「全く自衛できない人」になっていきます。

これではおそらく早々に死んでしまいます。

また、周囲に対し共感力が失われることも起こり得ます。
なにしろ自分が「恐怖を感じていない」のですから。

自分は、怖くないので!
  • 家族が大けがを負った
    → 不便だね
  • 友人が痴漢に遭った話をしてきた
    → 魅力的な証拠だね
  • 友人が事件死した
    → 運がなかったね

もし自分がこんな相づちされたら「そういうことじゃねえんだよ怒」
「ひとの気持ちがわからんのか???」となりそうです…。

こんな共感力ゼロの調子で、大切にしたい相手を大事にできるでしょうか?

そうした恐怖を感じない人生が、本当にあなたの生きたい人生でしょうか?

無くす代わりに、恐怖を受け入れ抱えて生きよう

ここまで恐怖を無くすことの危険性について見てきましたが、
そもそも問題は「必要ではない場面で自分が怖いのが困る」なのだと思います。

では代わりに必要なことは何でしょう?

個人的には「恐怖を見て、解剖して、受け入れること」だと考えています。

先に申し上げた通り、恐怖は自己防衛のための大事な感情です。

もしそこに
「現実的に考えて、そこまで怖い場面じゃないはずなのに恐怖が湧き上がる」
ようなお困りごとがあるなら、

それは決してあなたの感情のバグではありません

思考の上で「そこまで怖い場面じゃない」その場面は、
あなたの感覚的には間違いなく恐怖の場面なのです。

であるならまず、

その場面が「どのようにあなたにとって怖い場面なのか
理由を見に行く必要があります。

更に、「何がいちばん感覚的に怖れている事態なのか
そこから「自分を恐怖させることでどうやって身を守ることにしているのか
心理的利得と心のしくみを解剖して腹から理解する必要があります。

そうして抱える恐怖の姿かたちがすっかり明らかになれば、
受け入れやすくなりますし、抱えて生きていくことはまた、
(自己防衛が本当に必要な場面か否か)選択し直す機会にもなるのです。

「恐怖が湧き上がるから正直これを無くしたい、
なぜこんなに怖いのか分からない」ようなパターンをお持ちの場合は
電話カウンセリング等で問題整理のお手伝いが可能ですので
ぜひお気軽にご相談くださいね。

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