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「やさしい人だと物足りない!」ことの危険性

こころの癖

DV, モラハラパートナーを選びがちの方へ

見に来ていただきありがとうございます。
東京板橋区の心理セラピスト、瀬川あいこです。
リトリーブサイコセラピーという手法の、電話カウンセリングや対面セッションを提供しています。
(モニター様募集中です!)

今日はパートナーシップの話をします。

結論から言えば、

もし無意識に求める愛情の形が
やさしさや受容ではなく、否定や罵倒であるなら
パートナーにはDVやモラハラなど
支配者として、自分を雑に、奴隷扱いしてくれる人」を選びに行く、
または
そのように相手を育てる可能性すらあるから
まず、認知の歪みを正そうね!

ということです。

詳しくは、過去の私の例を以下でご覧ください。

過去の私の例:愛情とは「否定」あるいは「罵倒」

そこそこ厳しい家庭に生まれ育った私は、過去、無意識のうちに、
愛情、あるいは「相手が、関心を持って自分を見てくれている」と感じられる姿勢について
以下のようなものとしてインプットしました。

「否定」されること ≒ 愛情

なんでそんなこともできないの
あんたが間違ってる/おかしい
文句を垂れるな

「罵倒」されること ≒ 愛情

恥ずかしい
だらしない
みっともない

この時もちろん頭では、愛情ってそういうものではないと理解はしていました。
自分の家庭「以外」ではどうやら違うと気づいていましたし、
本や映画の世界で、たくさん見て聞いていましたから。

なので自分の中の感覚的なこの思い込みを、ようやく自覚したのは、
パートナー(今は夫)と出会ってからです。

実は…否定され罵倒されていたい!

当時の私はうつ病になってしまい、
急性期には身体が全く起き上がらず、パニックの発作も頻繁になり、会社に行けなくなっていました。
出社拒否状態で休職間近でした。

パートナーは穏やかに見守り、受け入れてくれました。
働けなくなったことに対し、なんの否定も罵倒もされないどころか、
「治るまでゆっくり休むのが仕事だからね」と声をかけてくれました。

しかし当時の私にとって、このようなやさしさは物足りず、愛情判定されません(!)

何を言っているのか分からないと思いますが、当時はそういう感覚だったのです。
だからパートナーにお願いしました。

「私のこと怒鳴りつけてほしい。『会社行け!おかしいぞ!』って思いっきりお願い。」

しんどい状態の自分に対して、否定して罵倒してください、
追い詰めてください、と自分から頼んだのでした!

(なお、もちろん彼には断られました。感謝。)

否定や罵倒されるよう、相手を仕向けてしまう怖さ

当時の私が欲しかった愛情は「ダメな自分をも受け入れてくれる」受容的な形のものではなく、
「ダメな自分を容赦なく叱りつけ、否定して、罵倒してくれる」形だったのでした。

ここから先は上記の実例からは離れますが、

たとえば

もしもここでパートナーが「相手のために良かれと思って」「相手に望まれたから」否定と罵倒に応じるような人間であれば、事態は更に悪化の一途を辿っただろうと思います。

パートナーの嗜虐心をだんだんと醸成し、罪悪感を持たせないよう配慮しながら、
DVやモラハラを繰り返すパートナーへと進化するように、自ら育ててしまったことでしょう…!

なにしろ相手から愛されている、見てもらえることは
否定され、罵倒され、雑に、奴隷のように扱われる」ことだと無意識に感じたままなのですから。

そしてついにパートナーを育て上げた暁には
「いつも酷い目に遭わされる、不幸な私」として被害者になり、
悪いのはパートナーであって自分は悪くない、という認識になるのもままあることです。

自分を否定させ、罵倒させ、雑に扱わせるよう仕向けて、
率先して奴隷になりに行ったのは自分なのに、です。

自分の認知の歪みは特定しておきましょう

いかがでしょうか、
「やさしい人は物足りない!」の後ろにある、危険性がお判りいただけたことと思います。

積極的に、あるいは本格的にパートナーシップを築いていくその前に、
ぜひ「自分の考える愛情の形」について振り返り、歪みがあれば特定していただきたいと思います。

気づいて認識することができて初めて、変えていけるからです。

もしもパートナーシップに不安なパターンがあるようならば、
電話カウンセリング等でお気軽にご相談くださいね。

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