「なぜ私ばかり」と被害者になる癖、ありませんか?
「なぜ私ばかりがこんな目に」と思う時、あなたは被害者ポジションにいます。「あなたをそんな目に」遭わせた加害者があなたの中に絶対に存在するからです。
でもこの相手は現実的に「加害者」だったのでしょうか?
こういう時こそ自分のこころの癖と現実とを突き合わせて見てみる必要があります。
よくあるパターン
過去の私がよく陥ってたパターンは概ね以下です。
いい人でいたいので、自分で我慢に我慢を重ねて善行(と自分が信じてる言動)を積極的に積む
↓
報われない場面に出会う
(いい人でいるはずなのに、相手から認めて/ほめて/感謝してもらえない、相手から思ったような形で尊重/大事にされない)
↓
■自己憐憫
■相手への怒り心頭
「私はこんなに頑張ってるのに報われない!」
「なぜ私ばかり!」
「分かってくれないあの人は悪い!」
↓
大爆発して怒りと不満をぶつける
(よくある:小さな出来事を使って自分から相手に仕掛ける)
実はそこに「加害者」などいない
お気づきでしょうか、上記の中で相手から害された事実は全くありません。
我慢するのも、そのあげく「なぜ私ばかり」と嘆いて激しい怒りを溜めるのも、全部「本人のこころの内だけ」で巻き起こっています。
ゆえに相手は加害者ではありません。
上記パターンにいるときの私が「自分にとっての報酬」と考えていたのは「相手からの」感謝や尊重ばかりです。
そして大原則、相手の感情は相手のものです。
自分がコントロールできない相手からの感情を常に期待して、我慢して頑張るけど、そもそもコントロールできないので思ったような報酬が得られない機会は必然的に多く、するとこれまで蓄積してきた我慢と不満が“わっ”と出てきて報われない感覚になり、さめざめと傷つき相手を責めたくなるのです。
そして(恐ろしいことに)これらは全部無意識で行っています。
渦中に居るときの意識下では「我慢も自分がやる事も当たり前のこと」だと感じていて全く違和感を覚えていません。
無理をしているとも感じていないので相手に対して我慢や不満はおくびにも出しません。
でもこっそり自分の意識からさえもひた隠しにして、不満と怒りを溜めていきます。
ついに爆発させるまで、自分でも全く気づきません。
裏側の、ずるさ
そこには相手にストレートに頼まないずるさがあります。
「こうしてほしい」「これは嫌だからしないでほしい」と直接言わずに我慢した言動を重ねるのは、自分の意思を表明することが相手から「いい人」と思われずに嫌われるってどういうこと、わがままで身勝手な行為と思ってるからです。
そこにはまた、他人をコントロールしたいずるさがあります。
上記とあいまって直接言う代わりに、自分の望む言動を相手に見せつけることで相手の言動を自分の思う通りのものに変えようとします。
そうして最終的に相手に有無を言わさぬ形で強烈に迫り、自分の思い通りを叶えるずるさがあります。
いきなり怒髪天を衝いて相手に自分の剣幕を見せつけることで、相手はびっくりして要求を(一時的にでも)受け入れることがあります。結局実力行使でコントロールを叶えるのです。
招くのは、不安と緊張感に満ちた人間関係
さてこちら、自分がもし、される側の立場だったらどんな感じがするでしょうか。想像してみてください。
目の前の相手は機嫌良さそうにしていますが、地雷がどこにあるんだか分かりません。
不満があるのか、大丈夫か、たとえ聞いてもニコニコと良い返事をするばかりで普段はまるで教えてくれません。
でも時にほんの些細なきっかけで突然ガチギレして罵倒や罵声を浴びせてきます。
こちらがどうにか取りなすと、今度はさめざめ泣いて謝ってきますが、いったい何が地雷だったのか最後まではっきりしません。
この一連を何度も繰り返していて全然安心できないので、こちらはだんだん萎縮していきます…。
この関係性の先に幸せや安心感、愛し愛されてる感覚が育つ感じがあるでしょうか。
このままだとすると残念ながら、可能性は低いように思います。
むしろいつも導火線を踏んでないか心配し合うような、危機感と緊張感、不安に満ちた関係性に育っていくでしょう。
「なぜ私ばかり」が湧いた時こそ、自問してみよう
もしこころの癖として「なぜ私ばかり」な被害者ポジションをお持ちの場合、振り返るポイントは「そもそも相手は現実的に加害者か?」「自分が何を我慢してるのか?」「我慢することで相手からどう見られるのを避けてるか?」です。
築きたい人間関係の形を含めてぜひ自分の内側に聞いてみてくださいね◎
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